桧の貸切露天風呂
温泉町とつながった普段着の宿
ひっそりと静まりかえった露天風呂は、朝の喜びにあふれていた。貸し切りで入った前夜は、裸電球のうすあかりが灯され、石のランプのオブジェが瞬く。樽酒でふるまわれる酒で、いい気持ちで過ごしたが、朝はまた別の雰囲気だ。
外界からほどよく遮断されたお風呂は箱庭を思わせ、木々が湯面を緑にし、ゆらゆらゆれている。湯につかり水面に鼻を近づけると桧の香り。体の細胞が目を覚ましていく感じがした。
鯖湖湯できくお国言葉
吾妻連峰のふもと、飯坂温泉から土湯街道までの14キロは「フルーツライン」と呼ばれ多くの果樹園が広がり、春には桃、梨、リンゴの順に花が咲き、夏から秋にかけては実りの季節をむかえる。
福島県きっての大温泉地。細い通りに大、小、新、旧びっしりと、混在している。飯坂温泉のシンボル、鯖湖湯に立ち寄ってみると、浴槽にはもうもうと湯気が立ち込め、存分に熱い湯に地元の方が平気な顔して入っている。お国言葉に耳を傾けながらの入浴、生活の匂いがプンプンする土地だ。温泉街の一方通行の細い道、30年前は祭りでもないのに、ここに人があふれていたという。
それは磐梯吾妻スカイラインの開通による団体バス旅行、泊まらなければできなかった福島競馬、そして芸者の魅力だったそうだ。それを聞くと温泉街の雰囲気はどんなだったか想像できる。泊まらずに移動できるようになってしまった今、飯坂に新たな客層がやってきつつある。個人客だ。
家に寄せてもらった感じ
双葉旅館は、ご主人と奥さんが迎える家。きらびやかさとは無縁の素朴な宿。お客さんがみなハツラツな声で入ってくる。自分で情報を集め、自分で宿へ予約し、自分でお金を払う。当たり前といえばそれまでだが、お仕着せのツアーや団体旅行では見過ごしていた小さな宿の面白さ、各宿の個性に気づきだしたのは確かだと思う。
まずは石灯りの湯へ行ってみる。内風呂、露天風呂、足湯がそろった多彩なお風呂。露天へは、古の鯖湖湯で使われていた湯石から湯が注がれている。御影石の床は、肌に触れたときの感触が石とは思えないほど柔らかい。鯖湖湯ではじっくりつかれなかった分、ここで湯を楽しんだ。
全国的に見れば名の知れた宿ではない。新しい宿でもなければ、今流行りの隠れ宿でもない。小さい宿に肩肘の張らない、旅館と言うより家に寄せてもらった感じ。飯坂の土地にしっかり根を下ろしたような安堵感がある。しかし質の確かなもの、たとえば料理。新しくできた食事処は、畳の通路から襖で仕切られた個室で出来たてを頂く。
女将さんが腕を振るう料理は板前料理ではないが、自家栽培しているハーブを工夫して取り入れたり、蕎麦打ちに挑戦したり、楽しんで料理に取り組んでいるようだ。私は、この宿で焼きたての鮎の味をはじめて知った。初夏に食べた鮎は今まで食べたものとは全く違っていた。
料理のメニューに決まったものはなく、その日入手した素材から決まっていく。毎日が真剣勝負だ。この日は自家製カリン酒にはじまり、天然ものの鯛と甘えびの造り、ひめ竹(地竹)、ごまどうふとじゅんさい、福島牛のすきやき、今回は特に豚の角煮が旨かった。締めくくりに女将さんの手打ち蕎麦を頂いた。
セミの声で目覚めた
翌朝は、セミの声で目が覚めた。飯坂は大温泉地だと思っていたが、奥の通りに入れば静かな一夜だった。隠れ宿じゃなく温泉の町とつながった普段着の宿。もう少し飯坂の町をぶらぶらしてみようか。