長野 美ヶ原温泉 旅館 すぎもと
お部屋
土蔵が並ぶ町屋の風情を引きずって、奥まった静かな細道に現れた暖簾。木造の宿に特有の匂いに気を良くしながらロビーに入ると、この宿の個性がくっきり現 れる。ちなみに建物設計はのは古民家再生の第一人者、降幡廣信氏による。
真空管のアンプが音楽を奏でるサロンで客を待っていたのは松本民芸家具の優美。ただ拭くことによってその美しさ、渋さが増す。この育てる家具を本気で 欲しくなった。
18室ある客室は木のぬくもりを秘めたまますべて設えが異なる。囲炉裏の部屋、数奇屋風、古農家の居間風、蔵座敷風・・・古民家の印象があるが、こん な隠れ家風ベッドの部屋まであるのですね。
木曽五木の風呂。十和田石の湯船を満たすは、江戸時代には松本城主に、「御殿の湯」と愛された源泉。いまも中庭でこんこんと湧く。宿の前身は殿様の別 荘であったらしい。檜の香る貸切風呂もあり、空いていれば自由に利用できる。
風呂上りには鉢に冷やされていたビールに誘われるがままに、中庭に向いて並んだ籐の椅子にどっぷり腰掛けて夕涼み。
部屋の電話に、「蕎麦打ちが始まりますが、よろしければどうぞ。」と連絡が入る。タペストリーへ降りていくと他のお客さんが何人か集まっていて、ご主 人の花岡さんが相変わらず噺家のような語り口で客を笑わせている。
イワナのなめろうが運ばれてきた。粘りが出るまで根気良く叩かれていて、これがかなりいける。ねぎと混ぜて口に含み味が伝わってくるのを待つ。まった り旨い。行者にんにくの醤油はなめろうにかけるのではなく、箸につけて口に含むと教わる。動と静の風味を交互に味わう。
無骨な力強い器の上に山菜をのせたかわいらしい小鉢の花が咲く。「わぁー」という喚起の声が漏れる。
極細に切られたそばは新鮮な旬菜のように一本一本が輝き、しゃきっとコシがあり、踊食いのごとく口の中を刺激する。そばの香りとともに口のななかに繊 細で複雑な感触を残し、喉を撫でたかと思うとあっけなく奥へ落ちて行く。
新しくバーができました。宿の主が酒飲みだから、当然の成り行きか・・・。
太い梁が通る蔵造りの料亭は向かいに座った連れの顔がおぼろに見えるとこまで照明は落とされ、ゆったりしたジャズが響く。となりの厨房からさっぱりと冷え たもの、あつあつのものが順に運ばれ、感じのいいスタッフが説明してくれる。ご主人による手料理は、一級品の酒肴料理、あるいは一流の道楽料理だ。無骨な 力強い器の上に山菜をのせたかわいらしい小鉢の花が咲く。イワナのなめろうが運ばれてきた。アジやイワシのなめろうなら知っているが、イワナのものは初め て。粘りが出るまで根気良く叩かれていて、これがかなりいける。ねぎと混ぜて口に含み味が伝わってくるのを待つ。まったり旨い。行者にんにくの醤油はなめ ろうにかけるのではなく、箸につけて口に含むと教わる。動と静の風味を交互に味わう。酒を借りに行く味。たまらず土地の大吟醸「大雪渓」を頼む。馬刺しを 叩いてユッケの肉のようにした「馬刺し タルタル風のり巻」はご主人考案の食べ方で、すぎもとの定番の一皿。これは絶品。食事の途中でスタッフから「蕎麦 いかがいたしますか?2人で一皿がちょうどいい量かと思います。」断る理由など何も無い。ご主人渾身の手打ち蕎麦。最初の一口は何もつけづに蕎麦の香りを 確かめる。親の敵で打っただけの事はある。極細に切られたそばは新鮮な旬菜のように一本一本が輝き、しゃきっとコシがあり、踊食いのごとく口の中を刺激す る。そばの香りとともに口のななかに繊細で複雑な感触を残し、喉を撫でたかと思うとあっけなく奥へ落ちて行く。今までの料理はこの蕎麦にたどり着くための お膳立てではなかったか?などといったら他の料理が気を悪くするが、とにかく蕎麦がびしっと締めてくれた。 食後の幸福感。今もまだ私の胃袋ををぎゅっと握って離さない。 ご主人は相当な好事家に違いない。使えば使うほど離れがたき存在となる松本民芸家具、梁が使えそうだと聞けば自ら見に行く古民家、魅惑な真空管のオーディ オ、野末の道祖神…そして酒も。それらは概ね職人の手仕事によるものが多い。主人の心に響いたものが集められた数寄の宿。憧れだったこの宿は、美ヶ原温泉 の奥まったところに佇んでいた。想像の中で膨らんでいた”すぎもと像”が始めて実物と対面したとき、その素朴な佇まいを意外にさえ感じた。しかし、その間 口からは想像できない広がりを潜ませていた。もちろんそれは建物のことではない。