私達夫婦が総持寺の門前に立ったのは秋の陽も落ちかかる午後5時少し前であった。案内所で総持寺の参拝時間が僅かだと教えられる。前もって歴史を勉強していないから鶴見と能登の二つある総持寺が理解できなかった。それを確かめる意味の訪れもあった。火災で立て直したとは言え流石に古めかしい建築の様相を感じさせる。
境内も本堂内にも誰一人居ない静寂の時間であった。ご本尊様が安置されている方向に礼拝し四角い太い仕切りの木を跨いだ。そのとき。風も無いのにガタンと大きな音がした。妻もその音を聞いて二人で不思議がった。では。もう一度実験をと本堂に戻り前と同じように礼拝を済ませて角材を跨いだ。ガタン。同じ音がした。
先年亡くなった妻の母親が「わかったよ」と合図を送ってくれたものと信じて総持寺を後にした。因みに妻の実家は曹洞宗である。本堂の脇にある小さな鐘楼でチンチンと鐘を突いて此方も「じゃ帰るからね」と合図を送った。本堂に入る時はしないで出る時に音がする。何とも不思議な感覚であった。でも怖くは無く。却って身体に清々しさを与えてくれる心地良さがあった。
そんなことってあると思います。
ぼくにも似たような話がありまして、ぼくが中学生くらいのときのことだと思います。亡くなったじいちゃんの家に遊びに行き、家族で仏壇に線香を上げていたら、1cmくらいだったろうそくの炎がみるみるうちに5cmほどに高くなりました。多分5秒くらいの出来事だったと思います。目が点になっている我々をよそに、じいちゃんと同居していた親戚は、「あぁ、じいちゃんよろこんでるね」と、驚いた様子も無く一言。そう言われてみれば、なんだかそんな気がしました。す。