さて、早速「薪の音」への旅を綴ってみようと思います。
じょうはな織館のブログを見ていたら、「城端の町花は水芭蕉」と言う内容の記事があり、縄ヶ池の水芭蕉の群生している写真が載っていた。
「んっ?、もしかして今水芭蕉が咲いてるんじゃない?」
と思い、縄ヶ池に立ち寄ろうと思っていたが、どうやら今期は道路工事中で車ではいけないらしい。
歩いていく根性もないので、あきらめて城端の町をぶらついた。
そこで聞きかじってきたことを書き留めておこうと思いますが、間違いがあったり、補足がありましたらぜひコメント欄に書き込んでくださいね。
城端は善徳寺中心としたを門前町の様を呈している。
絹織物の町として栄えたのだそうだ。
城端の絹は加賀に持っていかれると加賀錦と称し、これはきっと加賀友禅の材料となったのだろう。
絹織物の売り先は加賀以外にも江戸、京都といった華やかなる地。商人たちはそこでおぼえてきた茶屋遊びを城端でも・・・ということで、なんとなく奥に艶めいた感のある町ができあがったという。
ここは、「城端町史館 蔵回廊」の裏手で城端町の豪商の土蔵群が保存されている。
今でこそ静かなまちだけども、当時は小粋な放蕩若旦那がごろごろしているような町だったのだろう。
絹糸の生産自体は、城端から車で20分ほどの五箇山あたりでつくられたという。
五箇山は白川郷とともに世界遺産になって有名で、屋敷の中を見せていただいたとき、なるほど屋根裏で養蚕が行われていた後が残っていた。
五箇山にはもう一つの姿がある。
平家の落人伝説だ。
源平の戦に敗れた平家が、追っ手を逃れて隠れ住んだ場所のひとつがここなのだという。その名残で今に伝えられる「麦や節」も平家の落人によってつくられたとする説もあるのだ。
隠れ里の中に、京の文化がひっそりと息づいていたらしい。