福島 翡翠の里 御宿かわせみ
お部屋 1F露天風呂付特別室
約3000坪もの敷地に生い茂った竹林や木々に覆われていて、御宿かわせみはの正体は、敷地の外からはほとんどうかがい知れません。覚悟を決めて、 青々と茂った木々のトンネルをくぐるように車寄せに車をつける。茶室を思わせるしっとりとした和の空気の入り口が現れた。
凛とした空気のロビーに通されて抹茶を頂く。池の緑と静寂がちょっぴりの緊張感と旅の疲れとをじわじわ解きほぐしていきます。
部屋に案内されると、池を彩る緑が窓に映し出されている。思わずため息。窓から射し込む光線は、竹林と木々と障子にさえぎられ畳の上ににおだやかな陽 だまりをつくる。物音一つしない。(客室は侘介)
縁台にでると広大な敷地の木々を住処とする野鳥のさえずりと、池に流れ落ちる小滝の音が清涼感とともに静かに聞こえているだけ。
湯処そばの英国風サロンにはバロック音楽がかかり、湯上りをここでしばらく過す。アイスティーやフレッシュアップルジュースが冷やされている。これありがたいですね。
さて、宿好きの語り草になっている御宿かわせみの絶品料理。灯りを落とした部屋に、ろうそくを灯してお料理を浮かび上がらせるという演出で前菜が登 場。食材が素晴らしく、味付けが素晴らしく一品食べるごとに気分が高揚していく
われらの魂さらっていった珠玉の一皿「朝掘り筍の土佐醍醐焼きと フレッシュフォアグラの八丁あんぽだれ 烏骨鶏のレア玉子をそえて」。濃厚なフォア グラは八丁味噌のあんぽだれと出会い、今まで食べたことのない禁断なときめきをもたらす。焼きを入れられた筍は、風味が閉じ込められてある。思わずもれる ため息。「これてよかったぁ?」と泣き声の連れは、次の瞬間には「こりゃ、ビール進む」と手酌酒。
「春穴子蒸し寿司」の旨煮のあなごは緩んだ心にふんわりとけていく。お食事に炭火焼のお肉。これぞ最高峰の味です。前菜から本日の特薦料理まで気持ち の昂ぶり。感服しました。
御宿かわせみの湯が温泉になったというニュースは、瞬く間に高級旅館好きに知られることとなりました。古い角質を落とすような感触の湯に連れも大喜 び。
夢心地の中目が覚めました。目覚めの一杯に福島の天然水。朝食も文句のつけようがないくらい素晴らしかった。一方では感激しながら、一方で寛い じゃっている。それがかわせみの不思議でしょうかね。
ある日の掲示板に「“あさば”と“かわせみ”どちらに泊まろうか」で助言を求める書き込みがあった。そこに宿通のみなさんからの、思い入れたっぷりの書き込みがいくつもされたのを見て感慨深かった。かたや350年もの歴史を誇る宿、かたや開業して10年そこそここの宿。それなのに御宿かわせみはもはや”文化”という土俵で語られているのだ。
実はかわせみのことを伝えようとすると、結構思い悩む。自分はかわせみの何を伝えられるというのだろうかって。私の宿の好みをがらりと変えてしまった宿ですから思い入れが強いのです。設え、食、もてなしののすべてにおいて上質を極めた宿。
思い出すのは初めてこの宿へ電話したときのこと。知人に勧められて「ならば話の種に」となかば勢いで、私にとっては雲の上のような高級旅館に泊まることを決意したのでした。しかしいざ予約の電話をしようという頃にはその勢いも衰え、すっかり尻込み。ところが電話でのその清々しい対応に、行く前から親しみを感じるほどになっていました。以来、この宿に電話するのはひとつの楽しみ。すこし緊張しながら握る受話器。コールしてすぐに聞こえてくる、丁寧かつ笑顔が思い浮かぶ声。受話器を置いたときはいつも幸福感にひたっている。御宿かわせみでの滞在はまさにこれと同様。この幸福感を一晩かけて味わうことになる。
かわせみの声が聞こえるかのような静かな摺上川のほとり、3,000坪の自然林庭園に佇む上質な数奇屋は竹林と楓に覆われて中の様子は掴めない。覚悟を決めて車寄せにまで車を進めると、番頭さんが車まで出迎えてくれ、打ち水された玄関を入ると畳敷きのところに接客係が正座をして私たちの到着を待っていた。さすが高級旅館。雰囲気に飲まれてはいけない、正気を保たねばと思いつつ、沓脱石(くつぬぎいし)で履物を脱ぐその姿は相当にぎこちなかったに違いない。こんな思いするなら止せばよかった、そう思ってもおかしくないはず。しかしそうならなかった。それどころか、もう引き返せないくらいこの宿に惚れ込む事になる。
この宿のクライマックスはやはり料理であろう。日本全国から最高峰の食材を集め、料理長の芸術的なセンスで器に収められる。まさに極上の懐石料理。唇に触れる漆器の感触、黒織部の手触りなど、和の器文化も堪能させてくれる。料理には一切の妥協がありません。食材、もちろん極上のものばかり。味付け、あぁ、官能的。盛り付け、うーんセクシー。器、もちろん愛情を傾けてくなるものばかり。極上料理にの幸福感に、あぁ頬の緩みがおさまらない。2時間半ほどかけてじっくり堪能した。
さて、かわせみのことを伝え難しさ、 たとえば建物の素晴らしさや庭園の見事さを挙げることはできる。あるいは極上料理を褒めることもできる。あるいはお客の意思を察知してくれる接客面を挙げることもできる。でも個々に挙げてみたところでなにか言い足りない。こんな贅沢な時間を過ごしているのに、我が家にいるような居心地。こんな私でも一切の気後れを感じることなく、背伸びも必要ない。それが御宿かわせみの不思議。
宿のご主人は宿をはじめるずっと以前から、一客人として全国の名旅館を泊まり歩き、最高のもてなしを勉強している。 が、安易にとり入れることはせず「かわせみの文化」として残せるものだけをこの宿にしみ込ませていってる。流行を追う気配はない。和の宿を貫くという。それとは逆に「ソフトは毎日リニューアルする」。そうやってお客に磨かれたもてなしこそ、御宿かわせみが残していきたい文化なのだろう。
切り出されたばかりの木は湿気で”くるい“がある。年月の中で正しく乾燥した木には揺ぎ無さがある。御宿かわせみがオープンして5年ほどたった頃、初めてかわせみを訪れ、感動を味わい、その感動をご主人に「これからどんな枯れ方をするか楽しみです」と伝えたことがある。名宿として長く語り継がれる宿はある意味古木のように”枯れ“の中に文化を蓄積している。私はそれを伝えたかったが、多分言葉足らずで意味不明だっただろう。でもご主人はその言葉おも温かく受け入れてくれた。数年越しの再訪で思うことは、古木になる部分、新緑の瑞々しい部分これを合わせたのが御宿かわせみであること。
マニュアルを通しては文化は生まれない。口伝の中にこそ文化が生まれるというご主人の信念のもと、魂の入った器が200年、300年と世代を超えて受け継がれるようにかわせみの文化も継承されていくのだろう。
誇らしげにふんわり盛り上がった座布団が、ここに来れた自分の気持ちを代弁してくれている。脇息にもたれて物思いにふけった。ここが似合うように年を重ねたい、この宿と一緒にいい年を重ねていきたいと思った。
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