震災のあとに活動してまいりました、「旅館サポーター制度 種」(種プロジェクト)が
本日で終了します。
http://save-ryokan.net/
よい旅できましたでしょうか?
東北は、どんな顔をしていましたか?
昨晩から、ゆっくりと皆さんからのコメントを読み返しています。
登録してくださった319人のサポーターの
愛あるアクションと優しいコメントに改めて心打たれています。
「かならず泊まりに行くよ」のみなさんからのメッセージは、
種となって被災地にとどき、これから先、なんども何度も
きれいな花を咲かせるに違いありません。
お宿の方からのコメントを聞きたいかもしれません。
おそらくみなさんに感謝の気持ちをお話してくれるとおもいます。
でも連絡はしないでおきます。
ぼくらはお礼を言ってもらいたくてサポーターになったわけではありません。
被災地になんの力にもなれないもどかしさ、悔しい無力感のなかで、
せめて自分たちにできる何か、「顔の見える支援」を・・・と。
いえいえ、支援という言葉はふさわしくありませんね、
泊りにいくという楽しいことのために少し早めに
料金を払っただけなのですから。
被災地には「忘れられるのが怖い」と話す方がいるそうです。
「被災地として忘れない」ということももちろんですが
それ以上に「愛しい場所」として、その景色を、湯を、味を、
うたうような東北訛りをいつでも身近に感じ、いつでも
会いに行くことも大切だとおもいます。
どうぞこれからも、東北に訪れて、絆を育んでほしいというのが
私の願いです。
この活動は今日でいったん一区切り。
でも皆さんの心に生まれた東北への思いは永遠です。
どうぞ素敵な旅を続けてください。
最後になって恐縮ですが、
復興プロジェクトという、いかがわしさの付きまとうであろう
取り組みに、リスクだけを負って賛同しコメントを寄せてくださった
関西国際大学人間科学部准教授 井門 隆夫さん
雑誌『自遊人』編集長 岩佐十良さん
温泉ビューティー研究家 石井宏子さん
には感謝の言葉がみつかりません。
尚、本日を持ってサポーター証書は効力を失い、
前払いした料金はお宿への寄付となります。
またあるお宿からは「期限をつけづにいつでもどうぞ」との
お申し出を頂いていますので、続報をお待ちください。
約3年間ありがとうございます。
感謝、感謝、感謝。
またどこかのお宿でお会いしましょう。
『旅館サポーター制度 種たね』
事務局 丹羽尚彦
http://save-ryokan.net/
時間をもてあましてどうしようもない方は、つづきもどうぞ。
3年前の今日、たくさんの方がこの世を卒業していきました。
時々思い出して、その方々の人生に思いをめぐらせることも
一つの鎮魂だとおもいます。
彼の地でどんな人生を生きていたのか、何に幸せを
感じていたのか、彼らの誇りは何だったか、果たせなかった
夢はなんだったか・・・
そして生かされた自分たちが、今日を、いまこの瞬間を大事に、
笑って、幸せを感じて生きることもまた、卒業していった方々の
願いなのかもしれません。
私たちは後を任されました、力強く復興の旗をなびかせましょう。
本当に本当にありがとうございます。
丹羽様
度々のお便り、誠にありがとうございました。
そして、今日までの活動、お疲れさまでした。
私は旅行好きの叔父に代理を頼まれ、
「種」のサポーター登録をしました。
旅館に泊まりに行くことは都合上叶いませんでしたが、
叔父はこの3年間に何度となく東北の様々な場所へ足を運び、
ボランティアとして活動をしてきました。
私も、昨年の5月には子供を連れて宮城県へ行くことができました。
美味しい料理や素晴らしい景色、魅力ある人々に出会えました。
そして、瓦礫の山と破壊された街並みを目に焼き付けました。
「種」という活動を知ったからこそ、
東北へ旅をしてもいいんだ、いや、行かなければと思えました。
労働力としてではないけれど、お客さんとして。
3年前に亡くなった人たちが、生きたくても生きられなかった今日。
生きたくても生きられなかった、一分。一秒。
そのことを心の奥に刻みながら、日々を大切に重ねていこうと思います。
末筆ながら、丹羽様のますますのご多幸とご健勝をお祈りします。
平成26年3月11日
私は東京生まれ東京育ちで
ふるさとと言う感覚があまり
ないまま、歳だけとっていき
54歳になりました。
最後のメールとは寂しい響き
ですが、こちらの企画に賛同
させていただき、本当にありがとう
ございました。
被害が甚大なのはTVでは、わかって
いるつもりになっていて、現状
とは遥かに隔たりがあるのが、
現実ですよね。
そんなことも判っていて、お金しか
出せない自分が、情けなくて、
情けなくて、悔しくて、毎回被害
の報道があるたびには、じたんだ
していました。賛同させていただき
ありがとうございました。
此からも真っ直ぐに生きて下さいね。
事務局長 丹羽 様
あっという間に3年の月日が流れました。
今日のみやま周辺は、あの日と同じ雪が舞い、寒い一日でした。
今日だけは朝から特集の報道が続いていますが、
時々、宮城の沿岸部に足を運んでいるひとりとしては、
もっともっと報道し続けてくれることを願うものです。
なんにも変って(復興して)いません。問題だらけのようです。
他人事になっている日本人がほとんどのような気がします。
あの日から一か月は宿業どころではありませんでしたが、
GWあたりからは「支援」「見舞い」を兼ねた旅が動き出しました。
でも、沿岸部の比ではないものの、それなりに建物や温泉に被害が出て、
その修繕や今後の営業のことを思うと、正直一瞬とはいえ、「店じまい」を
考えてしまう日々が続きました。
もんもんとしていた矢先に声をかけてくれたのが丹羽さんでした。
その頃、私が「鳴子の米プロジェクト」という活動を展開中で、食べ手と作り手との
信頼関係を築き上げる中で、農家が米を作り続けるという考え方にヒントを得て、
この「種」制度を考え出してくれたのが丹羽さんでした。
すぐに実現へむけて動き出してくれました。
実際、これまでご利用いただい方、まだお越しいただいていない方、から思いもかけない
「支援」をいただきました。「必ず泊まりに行くよ」のメッセージには本当に頭が下がりました。
まさにお客様と宿屋との信頼関係のカタチでした。宿屋を続ける新たな責任が生まれました。
この制度で当館にお越しいただいた皆様、本当にありがとうございました。
仕事などの関係でまだご利用されてない方々につきましては、
まずはひと声入れてください。できる範囲で対応させてもらいますので。
そして丹羽さん、改めて御礼申し上げます。この制度の精神はこれからの観光振興に
対しても絶対意味があると思います(当館が支援をいただいたからだけではなく)。
まずは節目の日にあたり、一言ご挨拶まで。
宮城・鳴子
山ふところの宿みやま 板垣幸寿
ふるちんです。三年間、お疲れ様でした。旅館復興プロジェクトのお陰で、私も多少は復興に協力出来たのかな?と感じます。ありがとうございました。
私がサポーターとして登録させて頂いた、追分温泉さんは震災前に栃木から東北バイク旅行をする際に一泊目の宿として利用していました。
朝バイクを暖気していると、奥から館主の横山さんが出て来るのが恒例です。
昨年の6月、有休で震災後初めて追分温泉さんにお伺いしました。朝風呂を浴びた時に、地元の被災された方に貴重なお話を聞かせてもらいました、また、追分温泉さんが地域で果たされている貢献についても聞きました。
そして、宿を出る時に、暖気していたら・・・震災前同様、横山さんが現れました。嬉しかったです。
何時ものバイク談義の後、北上大橋の対岸、大川小学校で手を合わせてやって欲しい、太平洋岸の状況を見て欲しい、と言われ、気が引けましたが陸前高田までバイクで走りました。当然、震災後初めて走ったのですが、言葉が見つかりませんでした。
その後は夏休みを利用して松島に行きました。今後も、このプロジェクトの主旨同様、(バイクでの)旅好きな私は旅行を通じて東北復興に協力していきたい、と考えます。
本当にありがとうございました。種プロジェクトをたちあげること大変だったでしょう。でも大変ありがたいプロジェクトでした。応援したいと思っても、放射能とうでなかなか食料をかうことは自分ではむつかしくおもいました。そんな時に、プロジェクトを見て、これなら参加できると思いました。東北へ行ってみようという気にもなりました。東北の沿岸をずっと車で走って被災地をみてきました。
復興はまだまだのようですが、一つでも応援が形の見えることでできたらうれしいとも思いました。このプロジェクトは本当に素晴らしかったです。ありがとうございました。
今もNHKの津波のドラマを見ていました。風化させてはいけない、大切なことですね。
本当にあり がとうございました。お世話になりました。
事務局長 心あたたまるメッセージありがとうございました。私が「種」に参加したいと思ったのは、タビエル氏の心に私が心打たれたからでしょう。(すごいですね、真心ある文章) 尊敬です。今の私ができること。これからもずーっと東北へ旅すること、想うこと、学ぶこと、食すること、現実を知ること。 タビエルさん 大役大変お疲れ様でした!!
ありがとうございます
丹羽さんこそ、お疲れ様でした
この企画…とても良い企画だったと思います
初めにテレビで観た時、すぐに問い合わせしました。
震災後、仕事上で被災した人々と関わる事も多く、怒りやいわれのない暴言に、
毎日泣きたくなるような思いをし、でも、何かをせずにいられない…そんな時に
出会ったこの企画。
落ち着いたら、被災した友人と出掛けたいと思っていたけれど、それも出来なく
て、さらに友人の友人夫婦(この方も被災)の旧婚旅行に差し上げました。
とても楽しんでこられたようで、まさしく、小さな種から小さな花が咲いたよう
なハートのバトンタッチ
実際に行くこと出来なかったお宿ですが、いつか、直に自分のお財布から支払って泊まり
に行くこともあるでしょう
そうして、繋がっていくことが、この企画の願いだったのかな…と思っています
丹羽様
素敵な丹羽様のお気持ちに賛同させていただいて、昨年の連休明けに追分温泉に、宮城在住の友達と行ってきました。
私は数年間、転勤で宮城県は黒川郡大和町に住んでいました。
その時に、サーフィンを始めて、仙台新港をメインに、七ヶ浜や深沼、笠間、たまに南下して、福島県の楢葉までサーフトリップをしたりしてました。
今は東京の実家にいて、波乗りは鎌倉に行っていますが、年に1回は夏にサーフトリップで仙台に行ってました。
震災の前年も、福島の北泉から、今回甚大な被害を受けてしまった旧北上川河口を巡るサーフトリップをしました。
当たり前にあった、私の波乗りの故郷が、今回の震災ですべて姿を変えてしまいました。
こんなことがあるのかと、本当に本当にあの日から心の底にあるなにかが変わりました。
その、波乗りで知り合ったもう10年来の友を誘い、追分温泉に行きました。
震災前から行きた かった、田代島も一緒に行くことにしました。
追分温泉・・・
ものすごいおもてなしをいただきました。
角部屋だし、食べきれないほどのお料理!!!
初物のほや!
もともとお料理がすごい宿とは聞いていましたが、こんなにたくさんのお料理!
今回このプロジェクトを拝見し、日帰り温泉しか行ったことのなかった追分温泉に泊まれたのも、
このプロジェクトのおかげでした。
本当に本当にありがとうございました。
震災後、このプロジェクトで追分温泉に行ったことは、一生忘れません。
もう3年が経ってしまいましたが、まだまだ復興には時間がかかり、
故郷の姿は前の面影がなくなってしまいそうで、復興ってなんだろうと改めて思います。
そして、いつもある風景が永遠でないということ。
何事もなく終わる一日が、幸せだということ。
あの日に教えてもらいました。
せわしない日々を過ごしていると、また元に戻ってしまう自分いて、
人間って忘れるから生きていけるとはいうものの、
あの日の前の自分に戻っては意味がなく、
ということは復興ももとに戻ればいい・・・ということでもないのかなあ・・・
なんで、難しく難しく考えてしまいがちですが、
日々を精一杯、今を生きていくことが大切なんだと思いながら、
東北とともに前へ
このプロジェクト、本当にすばらしかったです!
お疲れさまでした。
ありがとうございました。
種プロジェクト 丹羽さま。
どうもご無沙汰しております。プロジェクトお疲れさまでした。
3年が過ぎましたね。
当時このプロジェクトこことを知った時には「3年も長い期間ずっと
この活動をされるんだぁ」と、ずいぶん先の事と思っていましたが、
過ぎてみるとあっという間に時間が経ってしまったような気がします。
実はつい先日、南三陸町での仕事帰りに追分温泉に寄ってきました。
夕食時の忙しいタイミングだったので、お風呂をいただいただけで
退散してしまいましたが、女将さんも「なんとかやってます」と
笑顔でした。
復興工事の業者さんや観光客の団体さんが利用されているようで、
相変わらずの混雑ぶりでした。
おいらが担当しているラジオのコーナーは今年もしばらく続きます。
この数年で宮城県内の温泉だけでも結構な数が無くなりましたが、
今後、震災や津波被害にあった施設でも再開するところもあるようなので、
そうした場所を応援していこうと思っています。
いつか直接お会いしたいですね。
でわでわ、今後ともよろしくお願いいたします。
こんにちは。
このたびは大変お世話になりました。
思いもよらぬ東北大震災で一気にお客様が減り、
また原発でよけいに集客が難しくなったここ福島で、廃業を余儀なくされたところはたくさんありました。
私どももこの先どうしたらいいだろうかと悩んだこともありました。
『旅館サポーター制度 種たね』を知り申し込んだどころ、数組でしたが応募してくださり、実際に来てくださいました。
サポーターの方々の励ましの言葉はとてもありがたく、福島に心を痛め、応援してくださっている人たちはどこにもいることを知りました。
『旅館サポーター制度 種たね』を運営してくださった方々は、東北大震災で困っている宿泊業の実情を知って、1円の利益もないどころか、かえって出費ばかり続くこの事業を敢えて行ってくださいました。
ただただ頭が下がるばかりです。
本当に感謝いたしております。
おかげさまで困難を乗り越えることができ、今に至っております。
今年に入って当館の近くの「国立磐梯青少年交流の家」にも子どもたちが戻ってきました。
原発事故のあった年は子どもたちの姿は全くなく、
一昨年は4回、昨年は12回くらい子どもたちの姿を見ただけです。
今年はすでに6回、子どもたちの姿を見ています。
これからGWや夏休みで何十組もの子どもたちが来てくれることと思います。
「すみません、トイレ貸してください」の声も又聞かれるようになるでしょう。
震災で打撃を受けた宿泊施設も、徐々にお客様が戻り、元気になっています。
私どもも元気です。
いろいろお世話になりありがとうございました。
この事業にかかわってくださった方々に心からお礼を申し上げます。